あの頃のゲーム日記#2 デスブレイド

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皆さんこんにちは。NOMUです。

新企画「あの頃のゲーム日記」2回目です。

初回のブログをアップした後に

「この企画誰か読んでくれるのか?」

そもそも面白いのか?

など、まあまあ不安になったのですが

B-1の時にブログを読んで頂いた方に声を掛けて頂き

「同い年なんだねw」

と、まさかの反応があり大変嬉しかったでございます。

それはもう昔から知っている方だったので

同い年なのは私も驚きました。(なんかそんな気はしてたけど)

そんな事もありしばらくはゆるく続けていきます。

一応この企画の趣旨としてはこんな感じ

簡単に言えばゆるい私小説みたいな感じです。

最近諸事情によりあまり取材に出かけられなく・・・

かといって毎週ゲームセンター業界の画期的なニュースも

ある訳ではないので、この際今までの私のゲーム歴を

読み物にしてしまおうというそんな企画。

同年代の方には共感して頂けると信じております。

前回の記事はこちら

【新企画】あの頃のゲーム日記

前回はまだ小学生の頃のお話なのでゲーセンには辿り着いていません。

このままファミコンの思い出を書いているときりがないので

今回は少し時間を進めますよ。

 

1991年の暗いゲーセン

ファミコンで最初に遊んだゲームはイーアルカンフー。

信じられない位面白かったこのゲームもやっぱり

長い事遊んでいると飽きてしまう。それでもかなり

粘り強く遊んだ方だと思う。

その後はワープマンやらロードランナーやら

スパルタンXやら、話題になったゲームは一通り遊んだと思う。

バンゲリングベイで心を折られたのもよい思い出。

そしてスーパーマリオの登場。ドラクエの登場。

ファミコンのブームは一過性で終わらず、今に続くタイトルを

世に送り出していった。

まあ、この辺の話は長くなるのでそのうち書くとして・・・

1990年

私は中学生になり、部活に打ち込みつつ相変わらずファミコン三昧

勉強はまあ・・うん・・。中一で英語は挫折しました。

Apple(りんご)のどの部分が日本語の「り」なの?

とか、訳の分からない疑問を抱いてしまい

英単語という概念を理解する頃にはもうすっかり謎の言語。

それはさておき1990年11月

スーパーファミコン発売!

感動しましたね、本当に。ファミコンと全然違う。

コントローラーのボタンが増えて戸惑ったのも最初だけ

すぐにファミコンのゲームでは物足りなくなり

まるで修行のようにスーパーマリオワールドで遊ぶ日々。

ヨッシーが便利過ぎる・・・

もうヨッシーがクッパと戦えばいいのでは?

そしてこの辺で完全にセガのハードとは縁がなくなる

メガドライブ?何それ?という感じ。

でも周りもみんなスーパーファミコン派で誰もセガ勢が

いなかったな。ここでセガと出会っていれば私の人生も

少し違ったのかもしれない。いや、大袈裟じゃなく本当に。

そんなこんなでスーファミで楽しく遊んでいた中学1年。

スーファミのカセットについても色々と思い出はありますが

それはまあそのうち書くとして、もう少し時間を進めます。

運命の1991年夏

中学2年生になりましたが、あまり生活は変わらず

スーファミと部活と少々の勉強の日々。

そして夏休みが終わり2学期

小学生からの友達がグレました。

ええ、それはもう、すごいわかりやすいヤンキーに変身。

ボンタンを履いて通学し、髪は茶髪に。

学校からの帰り道にタバコを吸ってはツバを吐く。

小学生の頃は一緒に漫画書いたりして遊んでたのに

お前いったいこの夏に何があった!?

でもまあ小学生からの友達なので、そんな感じになっても

交流は緩く続いていて一緒に帰ったりしていました。

そんなある日

「明日ゲーセン行こうぜ!」

すっかりヤンキーも板についた彼でしたが

漫画やゲームが好きなのは変わらないようで

特にヤンキーでもない私をゲーセンに誘い一緒に遊ぼうと言う。

ゲーセンなんて当時は怖い所というイメージしかなかったのですが

私もゲーム大好き、そして何かあってもこの見た目だけは

しっかりヤンキーの友達がいればなんとかなるか?

という浅はかな考えを巡らし人生初のゲーセンへ!

ここからようやくゲーセンの話になります。

ここまで長かった・・・

たまにブログで書きますが私の地元は中央線の東小金井駅

なんとなくゲーセンに行く事に罪悪感があった我々は

自転車で隣駅の武蔵小金井へ遠征。先生に見つかっても面倒だしね。

ていうかヤンキーなのにそういうの気にするなよと。

そしていざ人生初のゲーセンへ。記念すべきゲーセンデビュー

その印象は・・・

暗い(物理)

店内がめっちゃ暗い!この頃はまだ規定の照度がなかったの?

それとも私の思い出補正なの?とにかく暗い。

あとタバコの煙がすごい。

しかしそんな事よりも目の前に並ぶ見た事のないゲーム達。

誰かに絡まれるんじゃないかとか、補導されるんじゃないかとか

そんな色々な心配はすぐにどこかに行き、目の前のゲームが

輝いていた事をよく覚えています。

私が感動のあまり硬直している間、ヤンキーの友達は

前も来た事があるのだろうか?手慣れた動作で50円を

何かの筐体に投入。一緒に来た意味とは?

そして、そうそう、この頃は1プレイ50円が普通だったんです。

場所とか地域にもよると思うけど1991年の小金井市、武蔵野市は

50円で1プレイが当たり前でした。すごい時代だ・・・

一人残された私はとりあえず店内をウロウロ。

どれも遊んでみたいけど手持は500円程度。1プレイたりとも

無駄には出来ない。シューティングは絶対ダメだ。初見じゃ

たいして長い時間遊べない。他にやれそうなゲームは・・・

お、まったくわからないけど面白そうなゲームを発見。

とりあえずこれをゲーセンで遊んだ記念すべき最初のタイトルにしよう。

デスブレイド

なんかファンタジーだし、絵が綺麗だし、きっと面白い!

・・・

・・・

めっちゃ連打ゲーだなこれ!

今となっては色々と問題点を指摘したり、ゲームのシステムが云々など

面倒くさい感想も述べられますが、当時は純粋だったので

連打楽しー!!

もうね、なんでもいいんです。連打してるだけで楽しいんですよ。

16連射や高橋名人が人気だった位ですからね。

連打=正義なんです。ファミコンロッキーも困ったら

とりあえず連打すればなんとかなったし。

最終的にはヤンキーの友達も合流して

二人で疲れたら交代しながら連打しまくり。

楽しかったなぁ・・・

なんであんなに楽しかったんだろう。

あの頃の純粋な気持ちでもう一度ゲームしたいよ。

こうしてファミコンとスーファミしか知らなかった私は

この日をきっかけにゲーセンにも通うようになるのでした。

そしてその後、中学生の我々はあのゲームに出会うのです。

という訳で続きはまた今度。

ようやくゲーセンの話になりましたが、メダルゲームに出会うのは

まだもう少し先のお話。

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Nomu

Nomu

数少ないバイヨンオープニングメンバーの1人。もう10年以上バイヨンに関わってます。メダルゲームを専門とし、シングルマシンをこよなく愛する。好きなゲームは52JP・HMなど。